2026 初日の出を見に神津島へ行った話 Part4

「ダークスカイ・パーク」の本気を見せてもらおうじゃないの

夕食を食べ、少しゆっくりしたので、天体観測をしによたね広場に向かいます。という事で19時20分ごろに宿を出発。晩酌の続きは宿に戻ってきてから楽しみます。はてさて、新暦12月31日、旧暦11月12日の夜空とはいかほどか。

しかしこの方、夜の撮影があまりにもヘッタクソと言う致命的な欠点を抱えているので、とりあえず手ごろな被写体で練習をしていました。いくらフォーサーズを引っ提げていても、スマホばっかり使う弊害が如実に表れている。で、なんでしたっけ、手振れしない条件が35ミリ換算で焦点距離分の1秒が手振れしないとかでしたっけ。まあここでの撮影テストでF値が8まで絞られていることが判明したのは思わぬ収穫だったという事で一つ。Fをごりっごりに絞ったパンフォーカスは大正義なのですが、悲しいことに夜だとさすがに通用しません。

と丁度その時、画面左側、消防団の詰所の方から何やら車が通りすぎるのを確認しました。

丁度消防団の当番が帰宅するところに遭遇しました。19時半前に年末最後の仕事を終えて、翌年の仕事はじめは新暦1月3日(旧暦11月15日)ごろに再開するようです。3日ではなく、4日だったかもしれませんが、要するに霽の間は何らかがあっても出動できないから、自分たちでしっかり火の用心をするように、という事です。加えて風が強いので、一度火の手が上がると集落内の密度が高いこともあり、延焼も早い。徹底した火気対策が求められます。

ところで、この島が「ダークスカイ・パーク」に認定されるにあたり設備を更新したのがこちらの街灯。

こちらの街灯、と言うより島全域の街灯が光害対策型に切り替えられています。具体的には、

  • 水平に設置することで斜め方向への光漏れを対策
  • 夜間環境へ配慮した2700ケルビンの光に設定
  • 特殊なカバーを設置することで上部方向への光漏れを0に

などなど合計で369基を交換したようです。多少光量も抑えられているのか、言われてみれば暗いですが、では懐中電灯が必ずしも必携かと言われたら全くそんなことはない。一応持っていきましたが、スポットライトとして何かを照らす程度にしか用いませんでした。そりゃあね、星の事ばっかり気にして人間の生活に支障が出たなんつったら、わけ無いよね。

個人的には蛍光灯の端だけが褐色っぽく光り、真ん中は光っていない如何にも力尽きそうな、それでも何とか使命を全うしようと点滅を繰り返してみたり、そんな旧時代の街灯が好きなのですが、この島にそんなものがあったらたちまち星明りは消えてなくなる事でしょう。

旧暦11月12日。ところで旧暦で12日って

そうこうしているうちによたね広場に到着。せっかく集落を見下ろせることを事前に把握しているので星を見る前にこちらを見ておきましょう。

そしてこうやって見てみると、光害対策された電灯の威力と言うのが良くわかります。家の方に目をやると、屋根に光が当たっておらず、真っ暗になっているのが良くわかると思います。人口2000弱の島なので、もとより暗いというのはありそうですが。その中でひときわ明るいのが表玄関、前浜港です。中央の高いやぐらが津波避難タワー。中央やや西側から西側集落を眺めている感じになります。

……?????満点の夜空とは…?これじゃあ高尾山と何も変わらないじゃあないの。

うん、これに関してはチキンになりすぎた&半年ぶりに引っ張り出した一眼レフカメラに対する知識があまりにも足りていなかった。だって普段コンデジか、それすら面倒くさければスマホだもん。令和に甘えて堕落した典型的な人間だ。

言い訳すると、この時の私の心情はこう。あまり露光時間を長くすると白飛びしたり、星が線になってしまうので、4秒くらいが限度だろうかと、2.5秒しか開かなかったことですね。本当はもっと長めにとるのが良いらしいです。あと露光時間優先設定にする事ばかりに気を取られて、カメラ側がISO感度を勝手に下げてしまったことに気づいていなかった。(普段は絞り優先でシャッタースピードとISOが可変でやっています)ISO1250になっていましたが、露光時間1秒で試した画像は3200になっていたので、つまりカメラ的にはこれが「良い感じ」なんでしょう。

ケルパンカの小さな画像ではいまいちわかりませんが、一応高画質で拡大すると一角獣座が映っていたのでまあ良し。

余りにもお粗末なのでちょっとどころじゃない加工を施してみる。これで冬の定番であるオリオン座、ぎょしゃ座、ふたご座、おうし座が写っていることが分かりますね。左側で馬鹿みたいに白飛びして輝いているのは木星です。

オリオン座の下に小さく位置しているのがうさぎ座。雑に言うなら、小さなオリオン座を横倒しにして、オリオンの三ツ星が2つ星になったみたいな形をしています。そのうちの三ツ星に当たる2つ星、アルネブ(2.55等級)とニハル(2.80等級)という星が、比較的都市部でも観測しやすい星ですが、うさぎ座は肉眼でもへしゃげた台形がはっきりと観測が出来ました。(残る4つの星のうち東側の2つより西側の方がやや明るめ)

別の人のブログで、雑にアイフォンを空に向けただけでものすごい量の星が映ったみたいな話がありましたが、その致命的に不足した技量を抜きにしても私がここまで苦戦している理由がもう一つあります。こちらが最大の、しかも不可避の要因です。

星空撮影ルナティックモードの主犯

星空撮影をルナティックモードにし、満天の星を消し去った張本人。それが月。この日は大みそか、旧暦で数えると11月12日になるわけです。そう、12日。

おさらいしますが、旧暦とは新月を1日とするこよみの数え方。新月から12日経っているという事は、それだけ満月(旧暦15日)に近づいているという事。そしてこの日の月は午後9時ごろに最も高くのぼり、月の高度は80度にも達するという。つまり旧暦11月12日午後8時と言うのはまさに観測を阻害するのに打って付けな環境だったというわけですね。

いや知っていたよ、この日は月の条件があまりよくない、どころか最悪クラスに悪い事くらい。それをまったくの無知でここに来るような人間じゃないさ俺は、でもね。それでも、それでも神津島なら何とかなるって信じていたんだ!

とはいいつつも、喚き散らしたところで月が消滅するわけでもありませんし、そもそも星空撮影ルナティックモードになるだろうことは計画段階である程度は知っていたので、多少あきらめはついています。年末年始で、カラリと晴れていて、船が着岸出来て、新月。こんなに条件そろうのは滅多にない。なので月齢はあきらめ、神津島のポテンシャル勝負に持ち込んで呆気なく敗北したという流れです。

あと今回持ってきたカメラのレンズ、35ミリ版換算で120ミリまでしか寄れない=画角20度までしか拡大できないので、うさぎ座は撮影できても憎き月の兎は撮影できません。兎をしっかり撮影するなら少なくとも30倍の望遠鏡(あるいはデジカメの場合35ミリ版換算で1500mm程度のバズーカ)が必要になります。(売ってしまったことはさておき)望遠鏡なんて重くてとてもじゃないが神津島に持ち込めない。もっともカメラの場合センサーサイズを小さくすればいかようにもなるんですが、そうなると夜に弱くなるんですね。トレードオフです。

せめて神津島らしい写真をという事で何とか頑張って撮影したのがこちら。この日は土星がうお座の領域にあったので、土星をフレームにうつしつつ、それっぽい画角でうお座を撮影してみました。ちなみにうお座はうさぎ座よりもさらに暗く、最も明るい星で4等と言う、明らかに黄道12星座を埋めるために用意されたような星座をしています。最輝星でランク付けすると黄道12星座ワーストなんだっけ。と言う体たらくなのでぱっと見何がなんやらわかりませんが、ゴリッゴリに編集した写真と星座早見アプリで睨めっこをすると一応星座線は引くことが出来ました。うお座チャレンジ、条件付き成功という事で。

こちらはカシオペヤ座、ケフェウス座、アンドロメダ座、こぐま座を写した写真。なぜかセギンが消滅したため特定が大変でした。そして私が撮影中ずっと北極星ポラリスだと信じて疑わなかった星は、ケフェウス座のエライと言う3等星だったようです。ポラリスはかなり明るめの2等星ですので間違えようもないのですが…。しかし月は人を狂わせるとはよく言ったもので、とんだハルシネが発生しました。

その後は月明かりに夜目を壊されながらなんとか肉眼で格闘したり、良い感じの写真を撮ろうと試行錯誤したり。一つ分かったのは、月明かりがこんなに鬱陶しいと思えるほどに神津島の夜は暗いという事。奴さえいなければ、間違いなく本領を発揮してくれるという事。それだけは確かです。

さて時刻は8時半を回った宿へ向かう帰り道に神社を発見しました。こちらは与種神社といい、祭神はサツマイモの栽培を研究していた青木昆陽です。明和年間に没するまで蘭学の書籍を数多く執筆したことで知られ、特に「甘藷記」はサツマイモの栽培法が全国に広まる切っ掛けとなりました。神津島も例外ではなく、サツマイモの存在は飢饉から救われた島民にとって計り知れない恩恵であり、これに感謝の念を表すために昆陽を祀ったのがこの与種神社なのです。ずっと現地の方言だと思っていたのですが、何のことはない普通の日本語でした。つまりよたね広場の「よたね」は「与種」をひらがなに開いたものだったんですね。昆陽さまさまです。

帰り道、改めてその街灯を観察してみる。やっぱり下から見る分には普通の街灯と何ら変わらず、しかし上から眺めるとしっかり光害対策がなされている。こういう、例えば光の特性や適切な幌のかぶせ方を論理的体系的に理解するのはかなりの勉強を要するのだろうけれども、素人がちょっと観察しただけでもそのすごさの一端を垣間見ることが出来る。良い。

この後は21時過ぎに宿に戻り、ちょっとだけディスコ―ドでボイスチャットをつなぎ、晩酌の続きを楽しみ、そそくさと就寝。おそらく1年で1番夜更かしする人が多いであろう日に、悪い子の私はこの日ばかりはいい子ぶって10時半くらいにはすでに消灯して寝ていました。

2026年1月1日 05:30

5時のアラームに起こされて起床。あけましておめでとうございます。まだ薄暗いうちから外に出て初日の出へと向かいます。 どこで太陽を見るかさんざん悩んだ末初日の出に選んだ先は三浦湾展望台。多幸湾が島の東に位置するのに対し、この展望台は東南に位置しています。さて、早朝から往復6キロ歩くか。

三浦湾展望台へ向かう道はその道中のほとんどが都道224号線に指定されており、全線にわたって中央線が引かれている立派な道です。しかし勾配という自然環境にはあらがえず、9%の峠越えが続きます。ただし集落にはこれより急勾配がいくつか存在するし、奥多摩に行けばこの程度の勾配はそこら辺に生えている。なんなら道路構造令的には全く問題なし。(∵見かけた中での最急勾配が10%、40km制限における勾配の特例が10%なので)

という事で30分ほど歩いて三浦湾展望台に到着。この間に3台ほどの軽自動車に追い抜かれましたが、すべて地元民の車でした。やはりここが定番の場所なのだろうか。宿を出たときに見えていた北斗七星はすっかり見えなくなっていましたが、まだ日の出には少し時間があります。まったりとした、微妙に寒い程度の薄明が日の出を待つ我々を包んでいました。なお、この日の日の出は午前6時47分(UTC+9)。あと40分程度あります。長いぜ。

南側には昨日訪れた灯台の光でしょうか。船が左側にそれると赤い光が、右にそれると緑の光が見えるようになるので、位置的にもあの赤い光は灯台の赤だと思われます。航空写真で空港の奥であることを確認したので、多分おそらくメイビー間違いない。

少しずつ日が昇り始め、東側には三宅島が見えるようになりました。こちらは直線距離では近いですが、アクセスするには一度東京の竹芝ないし調布を経由しなければ到着できません。直線距離では大体33kmです。

三宅島の南隣には御蔵島が見えます。写真では写りがあまりよくないですが、肉眼ではしっかりと確認できました。手前にある突き出た岩は大野原島と言う無人島で行政上では三宅村に属しています。御蔵島までは直線距離では大体53kmです。ただし三宅島と同じく、竹芝か調布経由でないと辿り着けませんし、御蔵島には空港が無いため飛行機で時短をすることもできません。あんなに目の前にあるのに。

眼前の2島だけで満足して八丈島は観測しようとすらしなかったですが、ものすごく条件が良ければ可能性はあると思います。

時刻上ではあけおめ。

6時47分になりました。改めてあけましておめでとうございます。

…一応時刻的には太陽はのぼっているのですが、地平線低くが雲に覆われ、大海原からのぼってくる様子は見られませんでした。宿の朝食が8時から、チェックアウトが9時までですので、7時15分くらいにはここを後にしなければなりません。意外とあわただしい。という事で唐突に始まったタイムリミットは残り約30分。ちなみにこの三浦湾展望台には40人程度が集まり、ご来光を今か今かと待ち構えていました。島の東側にはほかに幾つか展望台があるので、良い感じに分散しているのでしょうか。実際、駐車場からあふれて路駐になっているのを確認した車が数台、三浦湾展望台を素通りする様子が確認できました。

そして午前7時。もうすでに日が昇りきっている事を示す明るい太陽光が確認できました。 どうやら神津島の初日の出は三宅島と御蔵島の間から昇ってくるようですね。夫婦岩の間から日の出が昇ってくるアレみたいな構図で良いですね。

feliĉan novjaron!(明けましておめでとうございます)

午前7時6分、太陽は期待通り三宅島と御蔵島の間から顔を出してくれました。改めて、明けましておめでとうございます。今年も良い一年になりますように。

引きでも撮影。キャプションは様々な言語での「新年快樂」です。さてそれぞれ何語でしょうか。

さて、朝食は8時からですので、そろそろお暇します。来た道を戻る途中、何台もの車に抜かされましたが、やはり地元民の車だらけ、もしくはホテル神津館の送迎バス。確認できた限りでは、「わ」ナンバーは1台だけでした。

新年最初の食事は民宿でよく見る朝ごはん+おせち料理でした。おせち料理が、味付けを濃くして日持ちさせることで、正月に料理しなくてもいいように作られている為か、塩じゃけの塩味を薄めにする配慮がなされていました。あるいは、早朝に往復6キロの峠越えをしたため体から塩分が抜けていたかのどちらか。おいしくいただきました。なお、もう一人の方は多幸湾にほど近い松山展望台で初日の出を拝み、帰り道軽トラにピックアップしてもらったようです。

ところでこの島では毎朝8時過ぎに、船がどちらの港に着岸するか、できないかの行政無線が発令されます。この日の東海汽船は多幸湾に就航、神新汽船は条件付き運行とのことでした。なるほど、神新汽船は条件付き運行ね。…え、待って下手したら帰れなくなるじゃんこれ。と言いますのも、東海汽船は10時半に神津島を出発、神新汽船は12時に神津島を出発するため、仮に神新汽船が着岸できなかった場合、その日のうちに船で脱出することが出来なくなるわけです。

さいわいこの島には空港がありますので、本土復帰キャンセル界隈になるのを避けるため、9時の受け付け開始とともに神津島空港に電話を掛けて15時便の座席を確保。元旦からセルフ神津島流人の宴は洒落にならないし、それはただの阿呆と言うものである。

8時50分ごろにチェックアウト後、あの峠をもう一度歩くのはさすがにしんどかったので、9時7分発のバスで多幸湾に向かい、フェリーあざれあが運行してくれることを祈ることとします。3時間、下手すれば6時間の待ちぼうけが発生しました。かりに無難な東海汽船で帰宅する計画だったとしても、前浜港ありきの旅程を組んでいたため、この時点で神津島の神社で初詣をする計画は斃れました。

待ちぼうけの多幸湾

そんなこんなで23時間ぶりに多幸湾に戻り、多幸湾の待合室でチケットの発行を済ませることに。この日下田に向かう乗客は7人程度で、ほとんどの乗客は竹芝に向かうとのことでした。やはり就航が不安定な冬にこの航路は選ばれないようです。

受付でも着岸できるまで就航できるか分からないとの返答があり、下田にたどり着けるか不安は残りますが、無事にチケットも取れたのでしばらく室内をうろつきます。

待合室のちょっとしたスペースには巨大なポスターがあったり、登場キャラの等身大パネルがあったり。かなりガッツリと聖地になっているようでした。貧弱な知識でものを語るのもアレですが、少なくとも「チョコミントよりも…」のミームはこの子たちじゃなさそうですね。

待合室でゲームをして時間を潰してもいいのですが、それではいつもと変わらないので港近辺をウロウロすることにします。多幸湾の待合室からすぐの場所にあるのは多幸湧水。「東京の名湧水57選」にも選ばれている湧き水です。飲めます。おいしいです。

湧水の近くにはこんな像が置いてあります。神津島の神です。湧き水と海の幸を喜んでいるようにも見えますが、神津島の至る所で水が沸くのは利島が踏み荒らしたからなんですよねえ。という事は利島君ありがとうと言う皮肉を込めた喜びなのだろうか。

多幸湾はこのような静かな入り江になっており、砂浜が広がっています。ただしその砂浜は非常に狭く運動場1面分程度であり、砂浜が終わるとすぐに断崖絶壁が広がります。手前の白い岩肌は天上山、奥の森に覆われた半島は砂糠山。砂糠山は縄文時代に黒曜石の産地として栄えた場所として知られています。海資源が豊富で、冬でも波が穏やかで、飲み水もある。縄文時代はここが最高の住環境だったのでしょう。

午前10時、さるびあ丸は定刻通り多幸湾に就航。汽笛を鳴らして着岸する様子は見ていて迫力がありました。当たり前ですが、ほとんどの客はこちらの船に乗り込んでいきました。おそらく20人程度いたと思われます。そして同じくらいの人数が下船。うち半数くらいは天上山トレッキングツアーの団体客でした。さるびあ丸が離岸し、彼らが観光バスに乗り込むと待合室にはふたたび静寂と、1時間半ほどの暇とがもたらされました。

勝利の女神ニーケーがほほ笑んだ

結局待合室で風向きだの他の人の旅行記だのを見たり、麻雀で時間を潰して無事にラスるなどをしていました。なんですか6索単騎地獄待ちのダマ8000+900って。肝心の船はというと定刻通りに無事就航してくれました。麻雀運を相殺してくれたのか無事こちらの運ゲーに勝ちました。という事で新中央航空にキャンセルを入れ、船に乗り込みます。

ちなみにパトカーはさるびあ丸着岸の10分前ごろにやってきて、見送ったのちはフェリーあぜりあの到着まで港で待機していました。

船内はこんな感じ。こちらは2等船室の様子。行きに利用した東海汽船と比較すると、総トン数は10分の1以下であるためか大掛かりな設備は設けられておらず、雑魚寝スペースが4つ設けられているだけの非常にシンプルな作りとなっていました。今回の便では神津島で7人ほど乗り込んだのち、その後の島ではほとんど乗降はなく、下田まで流動はなかったため、一人当たりの専有面積はかなり広く割と快適でした。

この日は反時計回りでの運航で、下田までの所要時間は約4時間。1日ごとに時計回りと反時計回りを繰り返す運行を行っており、時計回り便の場合は神津島14時発となり、12時のバスに乗れば十分に間に合うため霽の物忌奈命神社にお邪魔して初詣をする時間を確保できたのですが、残念。ただしその場合お船がポシャったら本格的に帰れなくなるので、自然と飛行機一択になると思われます。今回それも考えたのですが、下田に行った方がその後の予定が精神的に楽だった。調布空港におろされて、深大寺の参詣客でごった返す調布駅まで歩きたくない。

ちなみにこの日はすべての島に就航予定となっていましたが、その後海況が悪化したのか、利島は通過となりました。こんなところでも不憫枠。

ちなみに運行状況を表にすると以下のようになります。

日付利島新島式根島神津島ルート
12/31××××
1/1×
1/2×××
1/3××××
1/4××××

なんだこれ。蓋を開けてみれば奇跡レベルの運行だったとは。唯一のカーフェリーがこれでいいのか…?

そんなこんなでカーフェリーは穏やかな海を進み、利島通過の分30分ほど早く下田港に着岸。その後は下田駅まで移動し、伊豆急とJRを乗り継ぎ、親戚の家へと向かいました。これにて神津島で初日の出を見る旅行は終了となります。これまで離島には行ったことが無かったので、新鮮で楽しい旅になりました。こんどは別の島にも訪れてみたいですね。