2026 初日の出を見に神津島へ行った話 Part3
歩いて回っても意外と何とかなる
Part2では北部を回ったので、Part3では南部を回ります。なお若干ランダムウォーク気味に散策をしていたため、記事にする都合上一部時間軸が前後しております。ご了承ください。

診療所。島の北部には特養もある。
こんな画角で申し訳ないですが、こちらは島の診療所。ちゃんと予約診療と発熱外来とで入り口が分けられていました。集落の地理的中央にあります。役場、診療所、駐在所、よたね広場で大体島を南北に分けられるので、何かの役に立つかもしれませんし、役に立たないかもしれません。

朝鮮式の二重の塔がオタア・ジュリアの墓
病院と、Part2で触れた南駐在所のすぐ近くにはオタア・ジュリアの墓とその他少数の流人墓地が設置してありました。この墓に眠っている多くは日蓮宗不受布施派の僧侶で、一部は島民の師として崇敬されたとされています。なおオタア・ジュリアは朝鮮半島生まれの切支丹で、駿府城に仕えたのち家康に切支丹からの改宗を迫られましたがこれに屈せず流罪となり、伊豆大島、新島を経てこの島へ流された聖女とされています。その後は家康の死後恩赦となり長崎へとわたったようですので、神津島で死没したと言うわけではありません。
なお神津島は食糧事情や地形の関係から直接流刑地として指定されることはなく、多くの場合伊豆大島や三宅島などで罪を犯した人が「島変え」として再移送される島となっていました。寺の過去帳に残っている範囲では3人となっています。いずれも宗教家の方でした。
ちなみに神津島では毎年聖人に認定されたオタア・ジュリアをまつるお祭り「ジュリア祭」が開催されているようで、50年以上の歴史がある様です。

郵便局はちゃんとした郵便局だった。
流人墓地のすぐ隣にあるのが神津島郵便局。日本郵政直営(と言っていいのか不明)のちゃんとした郵便局です。延床面積を見れば最寄の郵便局より大規模。人口規模は小さいながらインフラはしっかりと整っています。(ほらそこ、その分それを維持するコストが、とかそういう話は言わないの!)年末なので閉まっていましたが、営業していれば神津島の消印を押してもらう等していたかもしれないです。

相変わらず色々と地形の険しさを見せつけてくる
ところ変わってここは神津高校と大島支庁神津島出張所付近の様子。津波注意の看板にはここが標高23メートルである旨が書かれていますが、すぐ眼前に太平洋の大海原が広がっています。東京都の海沿いと聞いてこの光景はまず出てこないでしょう。何の指標にもならないと思いますが、東京23区にある天然の山としては最高峰の愛宕山が標高25メートルです。狭い集落の北も南もそんなに変わらない、一応平地をしている平地です。

強風で風向きの方に曲がっている。
それはそうと、前浜に移動してからずっと強風が吹き荒れています。それはもう、木がこんな感じでひん曲がるくらい。つまり要するに今日だけ特別強いわけではなく、この島はずっと強い西風にさらされているという事。これは前浜港が使えなくなるわけだ。

何と神津島にはキャンドゥがあります
そこからさらに南に下ると、100円ショップでおなじみのキャンドゥがあります。一見するとやっているのか分からないようなたたずまいですが、ちゃんと店舗一覧でヒットするので今も健在です。なお、ろくに飲食店の営業時間は調べていないのに、どころかその日やっているかどうかも現地で確認しようという漢気スタイルだったのに、「この島にはキャンドゥがある」という割と観光には関係ない事ばかりは無駄に調べるんですよね。つくづくリソースの配分が間違っている人間です。

ここまでわかりやすい「バス停」も他にないだろう
少し歩いてこちらは「ホテル神津館前」のバス停。ホテル神津館はキャンドゥのほぼ隣にあります。手元の紙資料では全て「ホテル神津館前」となっていますが、2021年までは「キャンドゥ前」だったようで、その頃の看板が島内各所に残っていました。このバス停からは1日4本が発着しています。

消防署はないが、神津島村消防団が有事の際活動に当たるようだ
警察署の代わりに駐在所が置かれているように、消防署の代わりに地元の青年団で構成された消防団がおかれています。軽自動車で消防活動に当たることあるんだ、と思いましたが、この道の狭い神津島では仮にはしご車のような大きな車があっても道が狭くて通行できず、却って時間を要することになるのでしょう。もしくはそんなに大規模火災は起こらないか。

島唯一のスーパー。遊技施設と同名であるがこの島に遊技施設はない。
島には地元のスーパーがあります。こちらのスーパーは魚の仲買いも同時に受け持っており、島の産業に欠かせない存在となっています。お総菜や弁当などは店内の厨房で作っているようで、野菜や冷食などの品ぞろえも意外としっかりしていました。チェックイン前に立ち寄り、神津島の島ずしともろもろを購入しています。

一見すると何の変哲もない中学校の校庭
さて、こちらは集落の南端に位置する中学校の校庭です。この校庭、実は夜間照明がサッカーくじの助成金を受けて整備されたものになっています。ダークスカイ・パーク認定を目指して付け替える際にこちらの資金を活用したのでしょうか。
ところで神津島内にはくじの売り上げで建てられた施設がもう一つあり、それがPart2で巡った「神津島村郷土資料館」。こちらは新館部分が宝くじの売り上げで建てられています。スポーツ振興くじと当せん金付証票の売り上げがこういうところに活用されているというのは、現地に行かないとまず分からないですね。(資料館の方は受付のおばちゃんに訊いて教えてもらいました。)
いざ島の南端へ
さて、まだまだ見たいものはたくさんあるのですが、(赤崎遊歩道ついでに、おそらくは返し浜とつながる予定だったであろう大黒根トンネルを撮影するためにバイクを借りるのもよかったかなと帰宅後にちょっと後悔するなど。返し浜に繋がったら都道224号線は8の字型になっていたのだろうか)16時前には宿にチェックインしておきたいので、最後に南端にある神津島灯台を目指します。なにせここまでずっと8kgのリュックを背負って島内をウロウロしていたので、日の落ちないうちに腰を下ろしたい。

横道展望台から集落を眺める。左側に富士山も見えた。
その途中の横道展望台から集落の様子を一望できました。急峻な地形に設けられたわずかな平地を埋め尽くす様に広がるコンパクトな集落は意外と見ごたえがあります。圧倒的な情報量と選びきれないほどの選択肢にあふれかえった、めまいを起こしそうな大都会もそれはそれで悪くはないのですが、ある意味で対極に位置している神津島と言う側面から東京都をみるというのも良いものですね。
ここまででこの島をおおよそ日の字型に歩いたことになりますが、門構えの左側のパーツになります。

灯台への道はアスファルトで舗装されていて、中央線が敷かれておらず、5分に1回は強風でよろめく。
灯台へ向かう道は、灯台と畑くらいでしか使う事は無いと思われますが、それでもしっかり舗装されていて、ガードレールも全線にわたって整備されていました。舗装の無いがったがたの国道もある中、しっかりお金を掛けている。しかし相変わらず風が強い。南に抜ければ多少マシになるとか、午後になれば風が収まるとか、そういう甘い話はないようで、神津島は一日中台風並みの強風が吹き荒れていました。

恩馳島
車1台がやっと通行できる程度の細い道を暫く歩いていると視界が開け、眼前に海が広がりました。見えるのは無人島の恩馳島。神津島村に属する無人島です。名前の由来は大しけにあってこの島へと避難した漁民が、島への帰還に思いを馳せたからと言われています。神津島からの距離はおよそ4kmほどで、波が穏やかであれば泳いで渡る人が現れるかもしれません。(理論で気に可能でも、神津島では野宿が禁止されている為、恩馳島に泳いで渡るのはやめましょう)
恩馳島のさらに南西には銭洲、神津島の東側には祇苗島がありますが、こちらも同じく神津島村の所属です。

神津島灯台へ向かう階段。やけにきれいなので、ここ1〜2年で新しく架け替えたのだろう。
駐車場と公衆トイレを過ぎると観光用に整備された、やけにきれいな階段が現れます。これを登って行った先に

神津島灯台は、昭和26年12月18日に設置点灯されました。この灯台は、島の南端に位置し周辺海域は船舶の往来が激しいため、神津島の視認目標として設置されました。(後略)
北緯34度11分、東経139度7分にたたずむ神津島灯台に到着。集落からはおよそ30分ほどの距離のため、比較的気軽に行きやすいと思います。光達距離が約50kmのため、ギリギリで石廊崎灯台(地理院地図で52km程離れている)からは確認できません。また、石廊崎灯台の光達距離が約38kmのため、神津島から確認することはできません。
なお、神津島灯台の展望台は安全性の問題からか、ロープがまかれて立ち入れないようになっていました。
ちなみに灯台の近くには空港があり、一見数分でアクセスできるように見えます。しかし灯台は道の行き止まりに設置されており、一見空港にアクセスできそうな道も勝手口にたどり着くだけでターミナルには辿り着けない為、一度それなりの距離を引き返し、やや北側の道を通って辿っていくことになります。往復1時間がのしかかることを考えると、空港まで収鋲していたら日没で途方に暮れることになりそうだったため、ここで観光は切り上げておとなしく宿に向かう事にしました。
ようやくチェックイン

今回泊る宿。晩酌の肴の都合チェックイン前にスーパーに寄ったが、近い位置に構えてあるのがありがたかった。
30分ほど来た道を引き返し、本日宿泊する民宿「はまきよ」に到着。集落南端に位置するこの民宿は、70歳くらいのおばあさんが一人で切り盛りをしていました。なお今回の神津島旅行に当たり1ヵ月半ほどに予約を入れたのですが、宿を確保するのが地味に大変でした。
そもそもこの島は夏がハイシーズンであり、冬は閑散期に当たります。となると一見宿が取り放題であるかのように思えてしまいます。しかし街を歩いていると「通年民宿」だったか、「年中宿泊」だったか、そのような感じの文言を書いた民宿を見かけました。つまり期間限定営業の民宿が存在すること前提の、ある種のレトロニムとして書いているのだと思いますが、その営業しない季節と言うのが冬なのでしょう。つまり必然的に宿のキャパが減っている訳です。そして、年末年始を島で過ごそうというちょっとニッチな人間によってその日だけ特異点的に混雑する。となると当たり前だが熾烈な部屋の取り合いになり、なかなか宿が取れない。かくいう私も予約サイトと睨めっこをしながら宿を上から順に確認し、片っ端から残室確認を指定していました。11月の中旬でこれです。こんな様子では12月に突発的に行こうなどと思い立っても、とても宿がとれたものじゃないでしょう。

はまきよには4部屋あり、奥から二番目の部屋でした
部屋の様子はこんな感じ。
起伏のある島を歩き通したので、夕飯の時間までお風呂に入ったりのんびりしたりしつつ、夕飯の時間を待ちます。
というかずっとガタガタ強風が吹いているんだが。アレだよね6月とかじゃないよね、台風は別に来ていないよね?と不安になり窓の外に目をやるとすっげえ晴れている。なんだこれ。

民宿の夕飯。こういう飯が一番うまいんだ。
宿の夕食は金目鯛の煮つけ、刺身、フライと金目鯛尽くしの夕食に、肉とローストビーフと盛りだくさん。大満足のボリュームで、魚が新鮮でおいしかったです。本当にうまい刺身に出会うと、醤油はその出番を無くすらしいです。最高の夕飯となりました。
ちなみにこの日同じ宿に泊まったのは私のほかにもう一人いらっしゃいました。アイドルユニットの聖地巡礼で何度かこの島に訪れたことがあり、2泊3日でこの島を満喫するとのことでした。 ただし当方そのジャンルに関しては、インターネットミームに乗じてあの曲が歌える程度で、それ以外はほとんど知らない。会話が盛り上がらなかった。残念。あと彼ツイッターは無事復活したのだろうか。
この後はしばらく部屋に戻ってグダグダしたり翠ジンソーダで島寿司を食べたりしていました。良い感じの時間になったら天体観測をしに向かう予定です。
きりが良いのでPart3はこの辺りで。神津島のメインディッシュと定めた夜景と初日の出、軽くルナティックモードになりかけた脱出の様子はPart4でお届けいたします。