2026 初日の出を見に神津島へ行った話 Part2

島の西側にある集落へ移動

さて、さるびあ丸は集落の裏側となる多幸湾に到着したので、ここから集落まで3キロほど移動する必要があります。

生活インフラの大部分を占める船の到着というものは島にとって一大イベントのようで、かなりの賑わいを呈していました。帰省した人、買い出しから帰ってきた人、観光客、これらを出迎える人、そして野次馬。ところで「生鮮食品をお預けのお客様は○○にて…」という船内放送が頻りに放送されていましたが、これは本土で買い出しを行った地元民が預けていたのでしょうか。

という事で、各種ホテルや旅館の送迎バスを見送り、私は路線バスで集落を目指すことにします。

東京都ですので交通インフラはしっかりあります。その数1日2本。終バスは12時台。東京都なので、12時までしっかり運行してくれます。(言っても集落の面積自体はそれほど大きくなく、その集落までは40〜50分ほど峠道を歩けばたどり着けるので、案外気合いでどうにかなります。)それに加えてこちらの多幸湾に到着した時に限って運転される「大型船送迎(大型船多幸湾発着時)」もあるので、徒歩でもなんとかなります。ただ、今回はこのバスに乗ります。

さて村営バスのラッピングにもある通り、「島の夜はいつでもどこでもプラネタリウム」なこの島は基本的に満天の星空を眺めることが出来ます。これは後のお楽しみに取っておいて、昼間は集落の観光にいそしむ事にします。

船内ではスターリンクが使え、島ではペイペイが使える。ただし今回はどちらの文明も利用しませんでした。大荷物を持ったハイカー、一般観光客、免許を返納した老人など色々な層の客が次々乗り込み、ほとんど満員で出発。運賃は距離制ではなく、1回の利用で200円です。

さて、こちらのバス、「神津島村営バス」は俗にいう80条バスと呼ばれるものです。
「旅客営業」を行う車は、本来であれば事業用の緑色のナンバープレートが必要になります。しかし山間部や過疎地域、島嶼部など需要の少ない場所では旅客事業が成り立ちません。そこで各自治体が公共の福祉を維持する目的で運行させる場合に限り、国土交通省の認可を受けることで、白ナンバーでも有償で客扱いを行うことが出来るようになります。これが「自家用有償旅客運送」や「80条バス」などと呼ばれています。ただし現在はもう少し幅広い用途に対応するため、80条から78条および79条に変更されていますが、慣習的に80条バスと呼ばれることが多い気がします。ウィキペディアの「80条バス運行事業者一覧」によると、東京都では神津島と小笠原の2村で運行されているようです。

前浜港に到着

バスに揺られること十数分、普段の港である前浜港に到着。バスに乗っていてもはっきりわかるくらいの急坂でした。そしてこちら側に到着した途端に急に強風にさらされるとは。瞬間的に風速15mを超えていて、前浜港への着岸は無理だと嫌でも分からされる。いかに多幸湾が重要な存在であるかがよくわかります。黒潮の影響で暖かいのが助かりましたが、この日はずっとこの強風の中神津島を歩き回ることになりました。

ちなみにこの施設はまっちゃーれセンターといい、東海汽船の窓口と観光協会が入っている神津島の表玄関です。この日は多幸湾に到着したため、閉鎖されていました。 なお、まっちゃーれの横によっちゃーれがあります。「待っちゃーれ」「寄っちゃーれ」ですね。わかりやすい。まっちゃーれの1階にも観光窓口があり、こちらで宿のチェックインとホテル代の支払いを行いました。2階には食堂が入っていますが、開店時刻が11時ですので、この付近で暫く時間を潰します。

こちらは港近くにある、島唯一の、と言うか村唯一の信号機。通常こういう離島であれば、信号の交通ルールを教育するために小学校の前に設けられることが多いのですが、交通量が地味に多い神津島では、最も交通が管理されるべき場所に設置されていました。もっとも、小学校は丘の上、集落の端に位置しているので、そんなところで交通整理を行う必要は無い。なお、青信号を示すのはほんの20秒程度で、割と目まぐるしく切り替わっていました。交通の要衝とはいっても、信号待ち渋滞が発生するレベルの交通量は存在しえないので、それに合わせて最小限だけ点灯しているのでしょうか。

神津島の郵便ポストは、集落の中央に2基、北東側に3基の合計5基設置されています。集落の規模が南北1km、東西500mのわずかな平地であることを考えると、かなり密集していることが分かると思います。

そしてこの画像で個人的に面白いと感じたのが箇所が住所表示。こんな画像で申し訳ない。このポストの場合、所在地は「東京都神津島村122」。市町村の下に数字を直に置くのか…神津島村神津島122じゃないんだ。もっとも、島全域がそう言う訳ではありませんが、集落内においては住居表示が敷かれており、その結果字が消滅しています。逆に集落を外れると途端に字が出現し、たとえば多幸湾は神津島村字榎木が沢となります。

神津島は神集島でもある

こちらは集落北側に位置する物忌奈命神社。祭神は物忌奈命で、三嶋大社の事代主と神津島の開拓神「阿波咩命(あわのめのみこと)」との間に生まれた子供のようです。なお阿波命神社は集落を外れたさらに北、長浜から入った谷に鎮座しています。

さて、この物忌奈命神社、どこかで見覚えが無いだろうか。そう、さるびあ丸の案内にもあったように、津波警報発令時の避難場所として指定されている場所です。標高は30〜40mであり、港から徒歩3分。避難するには絶好の高台ですが、同時にこの島の地形の急峻さを物語っています。

本殿および社務所は平成12年の地震で倒壊し、その後再建されたものになります。入母屋造りの平入拝殿。賽銭箱は流造。三嶋大社が三間社流造ですので、それを取り入れているのでしょうか?

神様つながりで、伊豆諸島にはこんな神話があります。

「その昔、伊豆諸島の中心である神津島の天上山に、島々の神が集まり会議をしました。一番大切な会議は、生命の源である『水』をどのように配分するかでしたが、言い分がさまざまで、なかなかまとまりません。そこで次の日の朝、先着順に分けることになりました。いよいよ朝になり、一番早く着いたのは御蔵島の神様でした。御蔵島は最も多くの配分を受け、次は新島、三番目は八丈島、四番目は三宅島、五番目は大島でした。こうして水は次々と配られ、最後に利島の神様がやってきた時には水がほとんど残っていませんでした。それを見た利島の神様は怒り、わずかに残った水に飛び込んで暴れまわりました。この水が四方八方に飛び散り、神津島ではいたるところで水が湧き出るようになったと言われています。」

ちなみに利島が出遅れた理由は朝寝坊。そのせいで貯水池や淡水化装置で最大限の努力をしてなお渇水に苦しむとは、あまりにも朝寝坊の代償が重すぎる。なお左側で寝ているのが張本神です。中央で水を配っているのが神津島です。右側で御蔵島、新島、八丈島、三宅島、伊豆大島の神が順番待ちをしています。逆光で酷いことになっていますが、全体像を映したのがこの画角しかなかったので許してほしい。

ちなみになぜ神津島で会議が行われたかと言うと、先ほど三島大社の子が物忌奈命神社に祀られていると書きましたが、この伊豆諸島を作った事代主が伊豆半島の先端の下田市に所在しており、神津島が下田市に一番近い島であるという理由で選ばれたようです。それゆえに神集島ともいわれているようです。

殆ど平地の無い円錐形の形をした利島には川も地下水などもない。これ、先ほど利島の神が寝坊したと書いたが、よく考えれば水利を考えずに雑に島を作った事代主も悪いよね。いったい前世でどんな罪を犯したらここまでの仕打ちに合うのか。

このあたりで11時を回ったため、よっちゃーれの食堂で昼食とします。今回はづけ丼を注文しました。煮つけが金目鯛でしたので、こちらも同じ金目鯛だと思われます。離島という雰囲気に呑まれている訳ではなく、明らかに魚の弾力が違う。めちゃくちゃ新鮮でおいしいです。これで1300円で食べられるのは明らかに破格です。付け合わせの金目のアラ汁と野菜のかき揚げもおいしい。

なお、これだけ長々と語っておいて、メインディッシュは初日の出を拝むことですので、どこを回るか等この時点でろくに考えていません。峠越えのためにレンタサイクルやレンタバイクを借りることも考えたのですが、残念ながら日を跨いでのレンタルが出来ず、夕方までに返却しなければいけなかった為、もういっその事すべて徒歩でまわってやろうじゃないのと決めて、公共施設を色々と収鋲することにしました。

北側の散策

こちらは前浜港すぐ近くの火力発電所。なぜかこの場面で写真を撮っていなかったので、遠景からの写真のトリミングでお許しください。神津島発電所は島の電力をこれ一つで賄う内燃力発電所で、ディーゼルエンジンが駆動する音が鳴っているのが良いです。ゆーても風の音にかき消されるけどな。これもそのうち洋上風力発電の風車が立ち並んで、いくらか代替される未来がやってくるのでは。これだけ風が強ければ結構はかどると思うのですが、逆に夏が捗らないのでしょうか?ただし太陽光、お前は屋根の上からしゃしゃり出てくるな

ところで、神津島はアメリカの民間団体「国際ダークスカイ協会」の定める星空保護区に指定されています。星空保護区とは光害の影響のない美しい夜空を保護するための施策をたたえる制度です。神津島は「ダークスカイ・パーク」として2020年12月に認定されていますが、これは沖縄県の石垣島に次いで2例目であり、2025年12月時点でも国内で4例しか認められていない結構レアな島だったりします。これがこの島を選んだもう一つの理由です。(神津島の光害対策と、月に嫌と言うほど邪魔された話はPART3で死ぬほど語ると思います。)

前浜海岸には常設型のビーチバレーが設置されていました。冬の海に入る勇気も無ければ、カメラの水対策をほとんど何もしていないので、木道の上から遠巻きに眺める程度にしておきます。あと一人旅なうえDEXは低い。

神津島村役場。「神」の文字は正面は楷書体の新字体、側面が隷書かな?の舊字體となっていました。こういうのいいな。好き。さすがに大晦日に開庁はしてないです。

少し歩いて、これは診療所近くの道路から海岸側を向いて撮影した写真。海岸から170メートルほどしか離れていないのに、標高25メートルらしい。勾配約15%いやはや凄い島だ。どうなっているんだ。

大変今更ですが、神津島が楽しすぎて記録そっちのけで街歩きをしており、カメラを首に提げたままほとんど回していなかったので、あまり写真が残っていない上にまともな画角が少ない事をご了承ください。本当に没入すると人間はオンラインに顔を出さなくなるんだ。

そしてこちらは今回の2番目の目玉である星空観測を考えている広場「よたね広場」。集落の東端に位置しており、すぐそこに高処山が迫っています。日によってはこのよたね広場で、リアルプラネタリウムを使った地元住民による生解説が聴けるようです。なお、離島において信号機の定番の設置場所(要出典)とされる小学校はよたね広場の真横に位置しており、ようするにどう考えてもこんな場所に信号機の必要性はありません。

よたね広場から集落を見下ろすとこんな感じ。奥には海側に高校と山側に中学校が見えています。さらに奥には無人島の恩馳島が見えています。よたね広場と小学校が大体集落を南北に分割した際の中央ですので、写真に写っているのはおおよそ南半分という事になります。同程度の規模と密度で北半分があります。なお北側に学校はなく、代わりに本土に接続する玄関と特養があります。

100年前の山手線のような「の」の字軌道を描きながら、再度集落北端に戻ってきた。飯食ったら最初に見ておけと言いたくなるくらい無計画もいいところですが、神津島郷土資料館を見学します。神津島郷土資料館はその名の通り、神津島の歴史についての史料を展示してある資料館です。入場料は300円。安い。

ところで神津島と言えば縄文時代には黒曜石の産地として栄え、此処で切り出された黒曜石は丸木舟に積まれて本州に輸出されたという話は有名だと思いますが、しかしそのあとの歴史をあまり聞きません。というのも、承和年間において天上山が噴火を起こし、そのせいで文化が壊滅してしまった為に一度歴史が途絶えているのです。ちなみにちょうどそのころに伊豆の下田から神様がやってきて色々と有ったようです。裏を返せば神がやってくるレベルの大噴火だったという事で、実際に畿内まで火山灰が降り積もったという記録が残されています。

更に時は下り戦国〜江戸時代には島流しの流刑地として何人かの僧侶が流されたようですが、可居住面積が狭いため伊豆大島や八丈島のように大規模に送り込まれることもなく。要するに縄文以降歴史の表舞台から退いてしまい、21世紀になって天体やアニメの聖地などで注目を再び集めるようになった。これが縄文以降の歴史に乏しい正体のようです。なるほどね。

また1階には村内の高校生が島内でフィールドワークを行ったポスター展示が貼ってありました。蛍だったり、内海に閉じ込められてしまった生物の調査(ウナギだったかな?)だったり、水質調査だったり。割と見ごたえがありました。ここだけでも割と時間を潰せます。

資料館を後にして向かったのは駐在所。神津島「北」駐在所です。何かを言いたげな北の文字ですが、つまりそういう事です。

南もあります。人口2000いかないこの小さな島に駐在所が2つあります。免許更新は南で受け持っていたので、おそらくこちらがメインであり、北はサブ的な存在になるのだと思われます。さすがに東や西はありません。もしくは多幸湾or前浜港での船と乗客の監視に人員を割かれるので、そのために2つあるのでしょうか。

神津島の北側を一通り歩いて気づいたのが、道幅がとにかく狭い。別に狭いところを恣意的に切り取ったと言う訳ではなく、県道から一歩奥に入ればたちまち軽自動車でもすれ違えるかどうかの狭い道が横たわっているのである。こういうの歩いて回る分には好きだけれど、いざ住んで日常利用するとなったら神経がゴリゴリとすり減りそうで大変だ。

北側をある程度散策したところで、南側以降は次のパートに分けたいと思います。パート3もぜひお楽しみください。