ケルパンカ

ノブレス・オブリージュ

“noblesse oblige”。原義では「高貴さに強制する」という意味を持つこの言葉は、彼にとってあまりに重い…

貴族は義務を負う(ノブレス⋅オブリージュ)、とは、高い社会的地位には義務が伴うことを教える示唆に富んだ言葉だ。齢22にしてヴァルトブルク家の当主となる数奇な運命を辿ったレオポルド、レオポルド・フォン・ヴァルトブルクは伯爵の最高位に当たる宮中伯である。

彼の住む国、このアルブレヒト共和政は現在、名を「元老院」という高位貴族400名でなる統治機関を持っている。200年間連綿と続いた絶対王政は4年前に打倒され、貴族による地方分権が進んだ。それぞれの公爵領、領邦、そして領地が形式上一つに統合され、大きな国家連合を形成しているのだ。
日々流転する周辺国の状況と目覚ましい科学の進展は、より強力な同盟を必要としている。政治も変革を必要としていた。世界の潮流は独裁や寡頭支配が影を潜めつつあり、民主主義の時代の到来を予感させた。しかしわずかに残存する帝国はそれぞれ拡大を期し、そのような目まぐるしい情勢のゆえに、アルブレヒトの貴族たちには重い責任があった。

レオポルドは名門ヴァルトブルク家の嫡男である。正確に言えば父伯ギュンターが両親ともに早逝した領民からとった、養子の兄テオドールがいるが、彼は貴族出身ではないため、継承権を持っていなかった。
他の兄弟について言えば、父伯は子沢山で、他に4人の妹がいる。レオポルドの4つ下のイレーネ、5つ下のレギーナ、7つ下のアルバータ、9つ下のグラティア。加えて、年の離れた弟がいたはずであるが、残念ながら母ヒルデガルドは彼を死産して亡くなった。9年前のことである。子供たちはたしかに清貧に暮らす父伯の懐を圧迫していて、それゆえ多くの貴族は彼に娘を養子に出すよう強く勧めたが、彼はその度にこう言って断っていたという。

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ギュンター

子供たちに必要なのは金銭よりも親の愛なんだ、ということを分かって欲しいんだよ。子供たちが子供を育てる時、そうして欲しいから。

元老院に割に近い城塞都市に住んでいるとはいえ、宮中行事に議会に統治に忙しくしている中で、しかも貧しい貴族がそのように子供たちと多くの時間を過ごすのは、不可思議に思えたり疎ましく感じられたりするのは当然と言える。しかも彼は、並いる貴族たちの中でも類まれな名誉を持っていた。公爵の地位に新任されるか、大戦功を上げて戦死するか、国家存亡に関わる功績がないと与えられぬ最高の称号、英雄賞をである。帝政時代には、この名誉は選定侯の権利を兼ねていた。王政への移行後には、年々所有者は減る一方で、ついには彼1人になったので、その羨望は至極必至であった。また、この権利があればこそ下級伯爵に位置づけられる都市伯のギュンターは元老院議員たり得たのである。

4年前、実に革命の数週間前のことだ。変革の予兆を感じ、数年をかけてあらゆる少しずつ権力から離れていたギュンターは、仮病で元老院を欠席していた。子供たちが見守る中、ふと思い立ったようにレオポルドを呼び出して言った。

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ギュンター

レオポルド、“太陽の沈まぬ国”に行きなさい。あの国には学べることがたくさんある。どうすれば民を愛し、どうすれば困難な時期を乗り越え、どうすれば国を乗りこなせるか学べるだろう。ある学者に伝手がある。この手紙を彼に渡しなさい。そうすれば、お前は全てを与えられるだろう。ただし、中身を見てはいけないよ。すぐに出発しなさい。クルト、馬車を回して来なさい。父はお前を愛している。母さんもそうだったように。

レオポルドは別れを惜しみつつも、これもなにか父の深い考えあってのものと己を納得させ、ひとり海を渡った。その先での事については徐々に明かされるだろう。それから3年10ヶ月の間、彼は大学に住み込んで学んでいた。
そんな折、ふと予感があり、今思えば虫の知らせという奴だろうが、数日後に父伯の死を知ることになる。やってきた使者の携えによれば、急性の体調不良による死亡だったそうだ。レオポルドは動揺こそしたが、少なくとも今の生活が終わるなど微塵も思っていなかった。アルブレヒトでは女性の家督継承が認められている。しかも、個人的な称号である英雄賞を欠いた今、ヴァルトブルク家はただの都市伯であり、元老院議員の座に着く必要もない。妹たちもいるし、才気煥発な兄テオドールも陰ながら支えてくれるだろう。青年は兄を心から信頼していたために、何も不安に思う事はなかった。父の葬儀にはもちろん出席するが、それさえ済めば自身が帰国する必要はない、もう少しここで勉強を続けて、できる事なら文壇から民を啓発したい。というか、そうできると思っていた。
しかし、その知らせの続きには、長年家に仕えてくれている老練の執事クルトからの追伸があった。

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クルト

[すぐにお戻りください、レオポルド様。父伯は本来、宮中伯の家柄。王政時代には国政を支え、現在では広大な旧王領の一部を支配する重大な役割です。この役は宮廷での自由な出入りつまり昇殿が許されていたことから伝統的に女人禁制であり、また当然元老院に出席しなければなりません。しかも、並いる貴族たちの中で持ち回って議長を務める大役です。是非にご帰国を。]

レオポルドはその事実を知らなかった。その事実は、父伯が本来の地位をなんらかの理由で辞退していたことも指していた。父は国家の大事を救った英雄的な下級貴族ではなく、国王の取り計らいによって地位を少しでも本来に近づけた、飾りだったのかと、一家の誇りにさえ疑念を抱く。それだけでなく、4年前は健康そのものだった父がなぜ急に亡くなったのかだとか、自分の人生が変わってしまった、変えられてしまったという感情が否応なく込み上げてくることへのやるせなさ…

入り混じる感情に整理がつく前に、彼の足は世話になった教授の元へ向かっていた。大学の教師たちからも教授と呼ばれているその男、政治学の世界的権威、ファイト博士はひげを深く蓄えた温厚そうな老爺である。レオポルドがひざまずいて厚く感謝を伝えると、彼はレオポルドにこう言った。

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ファイト

“noblesse oblige”(ノブレス⋅オブリージュ)

レオポルドは聞き返す。

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レオポルド

はい?フランス語、でしょうか。無学ゆえ、ドイツ語と英語しか存じず…

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ファイト

貴族は義務を負う、という意味の新しい言葉だ。まだ未発表の概念だから知らなくても無理はない。君は本当に優しくて賢い。しかし、大きすぎる責任を担うことになる。本来健全でないほどに大きい責任を。そう、一人の人類に課せられるにはあまりに重い(くびき)に。だからこそ、気をつけてくれ。

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レオポルド

何に、でしょうか

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ファイト

自分で考えなさい。

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レオポルド

いえ、先生。私は無知です。どうか、どうか私に教えを垂れてください。

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ファイト

君は謙遜だし、知恵がある。君が考える事は大抵正しいのだよ。あとはそれをやり遂げるか、否かだ。よくよく慎みなさい。よくよく愛でなさい。よくよく考えなさい。よくよく、休みなさい。それが全てだ。祝福あれ。

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レオポルド

…その通りに。本当に、お世話になりました。いつか、また。

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ファイト

もう会えぬだろう。もし主の思し召しであれば、あるいは。

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レオポルド

Tschüss, Gott mit dir.

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ファイト

Adeiu, Gott mit dir. 主が汝と共にあらん。

レオポルドは荷物を持ち、立ち上がった。学長室の重厚な扉へ歩き始め、振り返りもせずに言う。

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レオポルド

先生はまだ、フランス語のまま、アデューとおっしゃるんですね。

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ファイト

はは、何せ古い世代なものでの。チュース、などというドイツ語の新しい言葉は知らないのだ。

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レオポルド

何を仰りますか、まだご老齢というわけではありますまい。

大きな笑い声を立てながら、レオポルドは歩を早めた。薄ら浮かぶ涙を地に溢さぬよう、船へと…