百年戦争?
Excuse my French
突然ですが、皆さんは英語のこんな表現をご存じですか?
Excuse my French, but this f××king s××ks!
日本語に訳すと「下品な言い方ですみませんが、これはクソだよ!」となります。他にもこんな使い方もあるみたいですね。
Pardon my French, but it’s really f××king hot in here.
これは「今から汚い言葉使うけど、ここはクソ暑すぎるよ。」となるそうです。ここで皆さんが引っ掛かっていることを言い当てましょう。なぜ下品な言葉という言い回しにFrenchつまりフランス語という単語が入っているのか、ということです。これを紐解くには、英語の歴史を探る必要があります。では、紀元450年頃、英語の誕生した時期まで遡ってみましょう。さあ、時間の旅に出発です。
英語の歴史
古英語の時代
古英語、あるいは古期英語はアングロ・サクソン語とも呼ばれる英語の祖語にあたる言語です。ドイツ語と同じ言語から分岐したとされ、西ゲルマン語群に所属しています。
当時はブリテン島に統一王国はなく、現在のドイツはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州から移住したアングル人、デンマークに当たる位置から移住したジュート人、ドイツのニーダーザクセン州から移住したサクソンあるいはザクセン人などによっていくつもの王国が乱立する戦国時代でした。それらの国に対応して、ノーサンブリア方言、マーシア方言、ケント方言、ウェセックス方言があったそうです。
その後878年にウェセックス王国のアルフレッド大王がイングランドを征服すると、聖書の翻訳や歴史の整理のため、ラテン語からの転用や翻訳、言語体系の確立が行われ、ウェセックス方言は古英語の標準語となっていくのです。この年、デーンロー地方にデーン人、つまりデンマーク人の祖先にあたる、ロンドンからヨークにかけてブリテン島東海岸に住むヴァイキング民族がイングランドに敗北し、次第に弱体化・同化されていくのですが、彼らの言語はデーン語という古ノルド語の方言でした。この言語が英語にかなりの影響を与えたそうです。この言語は英語の基層を形成しており、以下が古ノルド語由来の単語です。
- they, their, them
- both, till, though
- sister, husband
- window, egg, sky, kid
- skin, sclap, skull, freckle
- get, give, take, want, die
- weak, low, flat, wrong, happy, angry
かなり基本的な単語が勢ぞろいしているのではありませんか。この古英語自体はこれ以降どこかで絶滅します。そして時代は移り変わるのです。その契機になるのが、1066年の、ノルマン・コンクエスト。では、次の時代へ進んで行きましょう。
中英語の時代
ノルマン・コンクエストは、フランスのノルマンディー地方に住んでいたノルマン人がイングランドを征服し、ノルマン朝イングランドが建国された出来事です。ノルマン朝の後もフランス系のプランタジネット朝が続き、この時期、彼らの話していた中世フランス語がイングランドの貴族の公用語になったのです。その後13世紀に至るまでがフランス語の流入絶頂期であり、現代にいたるまで膨大な語彙の流入があり、現在英語の45%がフランス語由来だとされています。初期に流入した基本的な単語は以下の通りです。
- easy, difficult, different, large, clear, blue, round, blond
- hour, minute, second, future, present, decade
- car, queue, park, track
- beef, pork, mutton, onion, cabbage, mushroom, herb
- forest, mountain, river, flower, ocean, fruit, war, group, army, force
- court, state, region, police, order, crime, policy, power
- wait, guide, use, catch, push, move, stay, finish, polish, pass
- fine, afraid, regret, desire, anxious, despair, confident
- human, person, people, male, female, salmon, study, pen, note
- science, language, machine, equipment, maintenance, manufacuture, system
書き上げるのも一苦労です。まだまだこんなものではありませんが。ここに今日の本題、“Pardon my French”が生まれた背景があるのですが、とりあえず解説を続けましょう。続いてやってくるのが近代英語の時代です。
近代・現代英語の時代
この時期の初期に、英語は大きな発音の変化、そして綴りや人称の変化が起きていき、現代にかなり近くなっていくのです。大きな出来事として、印刷技術の開発があります。ウィリアム・ティンダルが聖書を訳したり、ウィリアム・シェイクスピアが劇を書いたり、ジェームズ王欽定訳など歴史的著作が生まれます。
この欽定訳が広く流布したため、英語の文体が変化し、聖書の英語が日常の英語に変化します。それはつまり、聖書の言語であるラテン語の借用の爆発的な増加を意味しています。断続的に流入し続けていたラテン語ですが、実は英語が英語として存在する前の2~4世紀には既にbutter, cat, wineといった単語があり、また、ブリテン島移住後にはcock, masterなどの単語が、古英語の完成時期には聖書的な単語つまりpope, psalm, schoolなどが流入しました。その後、中英語期にジョン・ウィクリフらが聖書翻訳した際に1000単語以上を借用したそうです。例えば、formal, include, item, library, pictureなど、日常的な単語になったものも多いのが特徴です。が、ルネサンス期、ラテン語から7000単語が英語に入りました。ルネサンスの新しい思想や学問、そして古典への関心の復活がゆえです。ギリシア語由来の単語も増えたそうですね。が、やはり最大の理由は聖書翻訳。適切な翻訳をするためにはよりレベルの高い語彙が必要でした。つまり、「堅苦しい」あるいは「高尚」な単語の必要のために、格上の響きをもつ言語としてラテン語が選ばれたのです。これが、confidence, dedicate, education, expectなど、口語より文章語のイメージが強い単語が多く思われます。ラテン語の流入はその後も続き、19世紀にも莫大な単語が入ったりしたため、英語に与えた長期的影響はフランス語よりラテン語のほうが大きいという説もあります。
余談ですが、今回のメインテーマに近いのでここで脱線を。学者が大量のラテン語を多用する傾向は民衆から嫌われ、「インク壺語」だと揶揄されるようになります。日本語でも近年、似たようなことが起きています。西洋語を多用する人がバカにされる傾向がありますよね。「この会議のアジェンダはお客様にコンセンサスを取りコミットするフィックスをエビデンスをもとに形成する~」とかね。つまり、最下層が日本語(和語)つまり日常用語です。それを、明治期に西洋語を学者たちが漢語に翻訳して「野球」「議会」などといった言葉が多く生まれ、漢語の氾濫などと言われていました。これは「チンプン漢文」などと呼ばれていたようです。「インク壺語」と似ています。その後、それが定着すると、3層目として横文字が使用されるようになった訳です。
話を戻すと、大航海時代の訪れにより、イタリア、スペイン、ポリネシア、ペルシャ、ヒンディー、中国などから単語の流入が始まります。後期にはthouのyouへの統一などが進みます。
イギリスが日の沈まぬ帝国になると、その広がりとともに日本語などからの借用も始まり、同時にアメリカという英語のもう一つの本拠地が誕生したゆえに、英語は新しい一面を持ち始めます。
アメリカに移住させられたアフリカ系移民による歌唱的要素を豊富に含む黒人英語と、近代英語が混ざって成立したのがアメリカ英語なのです。英語の1方言であるアメリカ英語ですが、イギリスとアメリカの分離から400年という時間はこれらの隔たりを大きくするのに十分でした。意外に思われるかもしれませんが、アメリカは“離島”であるため、言語の法則として古い語彙や発音を残している面が強く、古いイギリス英語を反映しているのです。このように英語は、ドイツ語と共通の言語から生まれ、ヴァイキング時代に古ノルド語に影響され、その後フランス語により2層目が構築され、ラテン語を上級語彙に据えて完成しました。
では答えは?
では最初の問いに戻りましょう。Pardon my Frenchという言い回しの由来は?簡単に言えば、「インク壺語」のフランス語版なのです。汚い言葉を、最初に貴族に定着したため精錬されたイメージのあるフランス語だと言って皮肉っているんですね。解説しましょう!
この言葉は誕生当時、本来の意味で使われていたようです。多くの人はフランス語に不慣れだったため、フランス語を使うことを謝罪したそうです。それがいつしか、フランスとイギリスの長い対立、二度に渡る百年戦争やお互いを皮肉りあう文化によって皮肉的用法に代わっていくのです。
英仏は現在でこそかなり協力的ですが、歴史的には散々です。先ほど触れたように、イギリスはフランスの属国になりましたし、王室もその血が入っています。あるフランス人はイギリスについて "our most dear enemies"、つまり我々の最も親愛なる敵と表現しています。それが文化的背景ですね。
また、言語的側面から考えると、フランス語では、集まりから挨拶もせず帰宅する礼儀知らずのことをfiler à l’anglaiseつまり「英国式に去る」と言うそうです。また、古式なゴム製避妊具のことをcapote anglaiseつまり「英国の帽子」と呼んでいます。逆に英語ではそれを「French letter」と呼ぶとか。また、梅毒を「French-sick」と訳し、ヘルペスを「French-disease」など、フレンチという語自体に嘲笑の意味を持たせて訳していたそうです。この関係はたくさんの屍の上に成り立っていますから、そんなのんきなものではないかもしれませんが、現在の融和を思えば、“トムとジェリー”のように、仲がいいからこそ喧嘩するっていうとこでしょうか。まあ、ドイツの歴史書に「負けたと書くだけでこの厚み?」なんて言ってしまう紳士の国と、「イギリスは豊かだと思っていたがそうではないようだ。イギリス料理を食べているなんて」なんて言ってしまう情熱の国の喧嘩ですから、犬も食わぬというか、もはやツンデレの愛情表現の一種なので間に入るのはちょっと、遠慮しておきますね。
まとめ
英仏関係の話はともかく、現在英語圏では、この言葉を前置きで使うことで放送コードを緩めることができ、Fワードなども放送できるようになるそうです。
かなり一般的な表現だそうですので、英語中級者の皆様も使ってみてください。もちろん、外国語で悪口軽口たたくほどセンシティブなことはありませんから、くれぐれも行き過ぎないようにお気をつけて。