わーりんのほころびソクラテス 哲学にほつれる
テレビ朝日で水曜深夜に放送されている“永野&くるまのひっかかりニーチェ”という番組、ご存知でしょうか。
TVerランキングでは時間帯の割に健闘し上位に食い込む人気番組です。熱烈なファンというわけでもないんですが、この番組、僕もよくひっかかる性質なので、他人が何にひっかかるか気付けるのがまあおもろい。
思うに、こういう“ひっかかり”の元祖って多分ソクラテスなんです。ソクラテスは無知の知で知られる哲学者。わざわざ説明する必要もないと思いますが、当然なはずの、自分があるいは他人が何かを知っているという前提にすらひっかかってしまう、考えてしまうという傾向。これは研ぎ澄まされてきた人類の知的好奇心の極致だと僕は思うのです。これは哲学を褒めているというよりは、むしろ哲学が抱える無意味さを指摘していると表現するのが適切かもしれません。
哲学の話
僕は哲学が好きです。よく考えますし、考えることに意味も感じます。自分の中で芯とも言えるものも持っていますし、ある種思想や信仰といえるものもあります。でも、一番嫌いな学問も哲学なんです。「答え」を見出したところで、それは地球が球で空間に浮いていて太陽の周りを回っているとか、そんな絶対的な真理ではありません。
それを追求するために人生を費やして、そしてその影響が後世に及ぼされて、人の人生がより複雑になるこの学問分野が僕はどうしても好きになれないのです。でも、この自己矛盾にさえ、科学的な思考つまりニューロンとシナプスのどの挙動が引き起こす現象かとではなく、別の“答え”が出せてしまう哲学という学問が、僕は怖くてなりません。
なので、いろんなひっかかりに引きずられる前に、この場を借りて発散してしまいたいのです。服のほつれほころびが積み重なって、やがて完全にほどけた僕という糸が、新たに縫い上げられて、後世の人間の生活を複雑にする新たな思考パターンを生み出してしまう前に。
実のところ
別に難しい話をしたいわけじゃないんです。
ATMでお金下ろすのに手数料取られるのにひっかかるとか、そんなことを話したいだけなんです。今お金下したからそう思ったんですけど。もちろんATM置いて維持する費用がコンビニ側にもかかるのはわかりますが、その手数料は本来の業務を軽減してもらってる銀行側が負担するべきだろと思ってしまったりとか。
または知らない人に一発目からタメ口でいける人間にひっかかるとか、そんなことです。二言目からタメ口はわかるよ、それはまだ。僕も四言目くらいからタメ口のときあるし。でも、初っ端タメ口でいったら、2度と取り返せないんだよ? でも、意外とそういう子(若ければ)こそかわいがられ、逆に完全に自立してると、(孤独を好んでなくても)自分からアクション起こさなければかわいがってもらえない、この理不尽さ。
たぶんこれはかなり生まれた順番と場所と家庭によるわけですが、そんな意味では、堅っ苦しい田舎に生まれた長男なんていうストレスのなさそうな人種も大変なんだよ、って言いたいだけなんです。誰が大変だとかじゃなく、人間って誰しも大変なんだよっていう事実に、気付いて欲しいだけなんです。
そして、実は私もしんどいんだよっていう心の叫びとか、本人でさえ気付いてもいない苦労を拾い出したいんです。そうなんです。傷を舐め合いたいんです。僕のする“哲学”って、傷を舐め合って、より優しく、よりストレスを溜めずに日々の何気ない、そこまで代わり映えしない社畜(正確にはボランティア畜)生活の精神的QOLを上げることにあるんです。ということで、新たに始まりました「わーりん&わーりんのほころびソクラテス」での自傷&自己弁護行動に、皆さん、どうかお付き合いを。